こういうときは。

時々?いつも?
自分のことがものすごくキライになりそうになるときがあります。
イヤで仕方ないってなるときがあります。
自分の行動、考えなどなど、全てがイヤになることがあります。

そういうときは。
とにかく動きます。
家に帰って、ごはんを食べすぐに茶碗とか洗って、
洗濯して、干して、畳んで、お茶をわかして、新聞読んで、岑と遊んで。
バタバタと色々やります。
そうすると、少し気持ちが落ち着きます。

何なんでしょうね。

私の場合、どこかに「なりたい私」っていうのがいて、
でも、その「なりたい私」は、ものすごく抽象的で、
抽象的すぎて、どうなりたいのか実際はわからない。
でも、その「なりたい私」になれてないように感じて、自分がイヤになる。
ってパターンのように思います。

「なりたい私」って何なんでしょうね。

ここまで気持ちが不安定になるのって、何か理由があるのか?
とか、またわけのわからないことを考えてしまいます。

どうしてこうも自分にむかってしまうのか。
不思議。

どうでもいいことは結構どうでもいいのに。
考え出すと、止まらない。
しかも、暗いところにいく傾向あり。

うぅ~~~ん。

何を気にしてるのかもよくわからず。
結局、何にどう悩んでるのかもわからないってなる。

気分転換に、シャンプーを違う種類のものを買ってみました。
PC中、ボーっとするのに、ロウソクの火のゆらゆらするのを見たり。
(↑これは危ない?!でも、ロウソクの火の影はキレイだと思う・・・)
うちの卓上カレンダーの2月は、満足げな岑で、それをボーっと見たり。
ヨガのポーズをとってみたり。

家に帰って、色々やってると、本当落ち着けるからまだいいのかも。
わんわんうるさい岑を怒っていても、それがあるからいいのかも。

青がじぃーーーっと私を見てるのを見てると、
自分がくよくよしてることに疑問を感じます。
青はきっと、くよくよとかないんだろうなぁとか、青はくよくよしてる私を見て
何でくよくよしてんの?とか思ってるのかなぁとか思ってみたり。

とても深い悲しみや喪失を体験したとき、
規則正しい日常生活、深い悲しみや喪失体験をする前までやっていた
毎日をまた過ごすことで、安心感を得るということが書いてありました。
それまでの日常を過ごすことで、
体もそうだけど、気持ちとしても、失ったものはあるけど、
変わってないものもあるって実感できることは、大切なんだと思いました。

私にとって病気は、健康ということを喪失した体験となっていて、
その喪失体験での感情を整理できてないんだと思います。
この不安定さは、そういうことかもって気が。
そして、バタバタしてて落ち着くのは、それまでの(病気になるまで)自分でいるように
思えるから落ち着くのかも。

深い悲しみ、喪失体験は、乗り越えなくてもいいです。
その深い悲しみや喪失体験を持ちつつ、自分が自分でいられるように
なればいいそうです。
忘れる必要もないんですって。

時間がかかるものだなぁ。。。と、つくづく思います。
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by rinow3 | 2008-02-05 00:03 | 日常


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